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祇園之洲台場跡
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祇園之洲台場跡
西欧列強の艦船のあいつぐ来航に危機感を強めた薩摩藩は,弘化3(1846)年から海防のため台場の整備に取り組みました。祇園之洲台場は嘉永6(1853)年に島津斉彬によって築かれた台場です。
文久2(1862)年,武蔵国生麦村(現横浜市)で薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件(生麦事件)が起きると,文久3(1863)年,イギリス艦隊は薩摩藩に報復攻撃を行い,薩英戦争が始まりました。祇園之洲台場跡は,この戦争で,イギリス艦隊に砲撃を加え,激戦地となった場所です。
平成22年度の発掘調査で,薩英戦争当時の石垣や砲座・土塁(どるい)などが良好に残存していることが確認されました。薩英戦争は,西欧の進んだ科学技術を積極的に導入するきっかけとなった戦争であり,それに関連する遺構が残っている祇園之洲台場跡は,日本の近代化の過程を知る上で大変貴重な遺跡です。
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