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笠野原土持堀の深井戸
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笠野原土持堀の深井戸
鹿児島県本土の大部分をおおうシラス台地は,水源に乏(とぼ)しく開発が非常に遅れ,おおむね江戸時代中期以降になってようやく開発が進んできました。開発にあたっては水の確保が重要な課題で,鹿屋市の笠野原台地では深井戸を掘って水を得る方法がとられました。笠野原台地には,江戸時代に30~80mに及ぶ深井戸がたくさん掘られており,そのいくつかが残っています。この井戸は,文化元(1804)年より前に掘られたもので,直径1m,深さ64m,4枚の囲石を正方形に組み合わせてあります。深い井戸では,人力で引き上げられないので,牛馬にひかせる方法がとられました。牛馬が往復する道のことを「ツイノババ」とよび,この深井戸にはこの道も残っています。