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泊如竹の墓
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泊如竹の墓
永禄12(1569)年に屋久島の安房で生まれた泊如竹は,安房の日蓮宗本仏寺に入って修行し,出家して日章と称(しょう)しました。やがて本能寺でさらに修行しようと京都にいった日章は,儒学(じゅがく)者藤原惺窩にも師事し朱子学を学びました。鹿児島に戻ると南浦文之の門に入り,名も如竹と改めました。その後,伊勢の藤堂高虎に仕えたり,琉球王の師,藩主である島津光久の侍講(学問を教える人)となるなどしました。また正保4(1647)年に屋久島に戻ると,安房に飲料水の水道をつくったり,農業の改良に努めたりするなど,島の人々の生活向上に力をつくしました。「屋久聖人」とたたえられています。