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鹿児島紡績所跡
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鹿児島紡績所跡
日本で最初の洋式紡績所があった所で,現在はその門柱が残っています。イギリスから購入した紡績機などをおいて,慶應3(1867)年,島津忠義が磯に設立しました。紡績機の購(こう)入と技師を招く交渉(しょう)を行ったのは,薩摩藩英国留学生とともに派遣(けん)した新納刑部や五代友厚といわれています。紡績所では,当時200人の職工が働き,一日10時間就業して,白木綿などを織りました。その後,この機械の一部は堺(現在の大阪府堺市)の島津綿糸場に移され,やがて大阪を中心とする紡績業発展の基礎となりました。鹿児島紡績所は,明治4(1871)年に商通社と変わり,様々な変転を経て,明治30(1897)年に閉鎖されました。