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南洲流謫跡
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南洲流謫跡
西郷隆盛は安政の大獄の影響を受けて,薩摩藩から奄美大島に身をかくすよう命令されました。安政5(1858)年12月30日に鹿児島を発って,龍郷町へは,翌年1月12日に着いています。それから文久2(1862)年2月12日までの約3年を村人たちと過ごしました。西郷は,龍家の佐恵志の娘である愛加那を妻とし,菊次郎,菊子の2人の子供が生まれました。文久元(1861)年に,自分で設計した家を建てたのがこの場所です。11月に落成しましたが,翌年2月にはこの地を離れたため,わずか3カ月しかここには住んでいません。現在の家は再建されたものですが,塀は当時のまま残っています。