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旧集成館 附寺山炭窯跡 関吉の疎水溝
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旧集成館 附寺山炭窯跡 関吉の疎水溝
集成館は,嘉永5(1852)年,島津斉彬が築いた工場群の総称(しょう)です。大砲をつくるための反射炉や溶鉱炉(ようこうろ),鑽開台(さんかいだい)やガラス工場,蒸気機関の製造所などがありました。1200人が働いていたという当時日本最大・最高水準の工業施設で,斉彬はこの集成館を中核にして,製鉄・造船・紡績・電信など様々な近代化事業を推進しました。文久3(1863)年の薩英戦争で焼失しましたが,養子である島津忠義の手で復興され,幕末維新期に薩摩藩の軍事力を支えました。集成館に必要な白炭を製造した寺山炭窯跡と,集成館への用水施設である関吉の疎水溝も指定されています。
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指定年月日
- 昭和34年2月25日指定
平成25年3月27日史跡追加指定
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所在地
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鹿児島エリア
鹿児島市
吉野町9700-1
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関連サイト
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